時代を導く先駆者(イノベーター)のDNAとDNT(わたしたち)の未来

3.時代の寵児ゆえの苦闘 変わりゆく時代から学ぶ

1945年、日本は戦争に負けた。

戦災に見舞われた横浜工場も大阪工場も生産は止まった。東洋一の上海工場も連合軍に接収され、再建不可能という噂が巷間に流れた。主力拠点はその機能を失い、わずかにバラック造りの茅ケ崎工場だけが残された。混迷を極めたこの時代、原料も極度の制限下におかれ入手はままならず進退は極まったかに思われた。しかし彼らは諦めなかった。
翌46年1月、再建の本拠となる本社の上棟式が行われた。 焼け残った機械をかき集め、負けじ魂を胸に全社員一丸で再建に取り組んだことへの、ささやかな勲章とも言える再起の宴がこの日催された。

復興の槌音 負けじ魂を胸に新しい時代に闘う

再起に懸ける上での最大の課題は民需へのシフトであった。それまでの大日本塗料は官公庁対象のビジネスが多く、ビジネスモデル自体の転換が求められ、民間企業との販売網の構築から始める必要があった。しかし、日本全体が復興の時代であり各企業同じ課題を抱えていたとも言えただろう。この時代にも負けじ魂という勇気は受け継がれており、社員一丸となっての苦闘は日々続き、徐々にだが民需転換は形となりつつあった。また、来るべき時代に向け新製品開発への取り組みも怠ってはいなかった。
こうした時代の中、1950年、突如として朝鮮動乱が勃発。前年からドッジ政策による経済安定化計画が強行され、いわゆる安定恐慌の形勢下に沈滞していた経済界は動乱によってもたらされたアメリカ軍の特需ブームによって、にわかにその様相を明るいものに一変した。経済界全体の好況は、販売組織づくりを狙う大日本塗料の社員にとって大きな追い風となった。『技術を売る』という信念が活かされる時代が到来したのだ。